【レビュー】映画「セッション」を見たら辛かった高校時代を思い出した

      2017/03/24

こんにちは~。くまお(@kumaoblog)です。

先日「ララランド」のレビュー記事を書きました。同じくデイミアン・チャゼル氏が監督を務めた「セッション」についても言及しましたので今回レビュー記事としまして思った事や、気になったことについて書こうと思います。

▼「ララランド」のレビュー記事はコチラ▼

 

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主人公ニーマン(マイルズ・テラー)について

 
まずは主人公ニーマン役をつとめたマイルズ・テラーについて。
 
 

ドラム経験はあったものの…

 
15歳のときにドラムを始めていたそうですが、ジャズドラムは経験がなかったそうです。本業は俳優ですから、日常的に演奏していたとはあまり考えにくいので、撮影に入るまでの数か月であそこまでに仕上げたのはすごいと思います。劇中でも相当な努力を重ねていますが実際にもかなりの努力を積み重ねたのですね。
 
 

ドラムへの愛・夢そして空回り

 
劇中でも描かれていた通り、ニーマンのドラムへの愛は半端なものではありませんでした。直接的な描写はありませんでしたが、音楽院に通い、途方もない練習量をこなしていたことからも、彼が将来的にドラマーとして生計を立てていくことを熱望していたことは明らかでしょう。

夢をもち努力を重ねていた彼ですが残念ながら報われることはありません。バンドの指揮者であるフレッチャーは一時的に彼を評価することはあっても、すぐに不条理な態度で彼を厳しく叱咤激励します。まあよくみれば叱咤激励、悪く見ればただの侮辱、という感じ。

スポーツの世界でもいえることですが、結局は指導者の扱い方によってどれだけ努力しようが、どれだけ優れていようが可能性の芽を摘み取ってしまうことに繋がってしまいます。

劇中、フレッチャーは

実際私のことなど誰も理解していない。
(略)
私は皆を期待以上のところまで押し上げたかった。それこそが絶対に必要なんだ。でなきゃ現れない。次のサッチモもチャーリー・パーカーも。いつか彼が成功した理由を話したな。
(略)
十代の彼はサックスの名手。だがジャム・セッションでヘタをさらした。ジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ笑われてステージを降りた。その夜は泣きながら寝たが翌朝は?練習に没頭した。来る日も来る日も1つの誓いを胸に。二度と笑われまいと。1年後また、リノ・クラブへ。因縁のステージに立つと史上最高のソロを聴かせた。もしジョーンズが言ってたら?”平気さチャーリー””大丈夫、上出来だ。”チャーリーは満足。”そうか、上出来か””バード”は生まれてない。私にしたらそれは究極の悲劇だ。
(略)
英語の中で”グッド・ジョブ”の2語よりも害のある言葉はない。
(ニーマン)でも一線がある。あなたはやりすぎて、次のチャーリーを挫折させたのでは?
いいや。次のチャーリーは何があろうと挫折しない。。。。正直にいえば、育てられなったんだ。努力はした。それこそ必死に。なみの教師にはできないほど。それを謝罪する気はない。必死の努力を。
※劇中のセリフから抜粋

と語っています。ニーマンから反論されても耳を貸そうとしません。フレッチャーも固い信念で優秀なプレイヤーを育てようとしています。一概に悪とは言えませんがやっぱりやりすぎですよね。(笑)
 
 

実は筆者も同じような経験が…

 
実は筆者にも似たような経験があります。ここまで残虐ではありませんが(笑)

高校時代はサッカー部でしたが、誰よりも努力しました。リフティング、走り込み、壁当て、ロングキック、筋トレ…

全体練習が終わってからもひたすらに自分を高め続けました。が顧問から気に入られず3年間で公式戦に出場したのは数試合のみ。それも渋々お前を使っているんだぞ。という監督の気持ちがにじみ出ていました。顧問が僕だけに厳しくしたり当たったりしているのも明らかでした。明らかに嫌われていました。(笑)

今思えば自分は努力の方向性を勘違いしており、優れた選手でもなかったので、監督がほとんどの試合で僕を使わなかった判断が間違っていたとは思いません。この映画のニーマンの状況とは少し違っていますが、希望に向かって努力しても指導者に認められず悪態をつかれたりするときの気持ちは痛いほどわかります。僕自身映画をみながら何度動悸がしたことか。

まあ自分にとってはいい経験で、それ以来特に人には優しくなれたような気がします。僕は人に嫌味なんていいませんし。反面教師的な意味でいえば無駄な経験ではなかったと思います。その顧問のことは嫌いですけどね。(笑)

ちょっと映画の話から脱線しすぎましたね。次は監督について。
 
 

監督とジャズの関係

 
実は監督のデイミアン・チャゼル氏もドラムの経験があるそうです。高校時代にジャズミュージシャンを目指していて、高校時代に厳しい音楽教師にしごかれた経験がこの映画の撮影にも生きているそうです。

高校時代にそのような経験をしているからこそ、この映画への思いも人一倍強かったことでしょう。

“ジャズが死にかけている”というワードはこの映画でもそうですし「ララランド」でも登場しました。監督のジャズへの強い想いが伝わってきます。
 
 

ラストシーンについて

 
終始ドキドキしながら見ていました。最初はフレッチャーに騙されて自分一人だけ知らない曲を演奏することになってしまいます。意気消沈してステージを去るももう一度ドラムのもとへ戻ります。
 
 

決意したニーマン

 
ニーマンがステージに再び戻ったのには、フレッチャーへの復讐自分の今までの努力は間違いではなかったという証明をしようという決意によるものではないかと思いました。

彼は

ラストシーンでのフレッチャーの変化

 
ニーマンが「キャラバン」を演奏し始めてからフレッチャーのニーマンに対する目が変わりましたよね。

卑下(1曲目演奏時)→驚き、憎悪(「キャラバン」を叩き始める)→理解、同調(曲が進行する)

とフレッチャーの中での感情の変化が起こっていたように思いました。

ニーマンが「キャラバン」を叩き始めて、フレッチャーとしてはあそこで演奏をやめさせてニーマンを悪者にすることもできた中で、ニーマンに合わせて曲を作り上げていった。フレッチャーの中には大舞台であのチャレンジをしたニーマンを認める気持ちが芽生えていたのではないかと思います。
 
 

総評

 
全体的な映画のメッセージは「音楽は誰か一人のものではない」という一言に集約されると僕は感じました。

もちろん音楽の世界で指揮者に反することはご法度だとは思いますが、この映画では彼をニーマンに従わせることでお前は間違っているぞ、という意思を明確に示したことでフレッチャーの中にも何か響くものがあったのではないでしょうか。

個人的にとても好きな映画です。ぜひ見てみてください~。

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▼「ララランド」のレビュー記事はコチラ▼
 

 
 

今回もお読みいただきありがとうございました!

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